震災、一年前の朝.. [私達は、忘れない。]
一年前、朝の自分は・・・
一ヶ月の中国出張も、翌日(12日)が帰国日と多分 気分上々で有ったと思う。
何時もの様に中山公園駅から、地下鉄4号線にて乗って通勤。
上海体育館駅に程近い、事務所に到着し コーヒー を飲みながら帰国準備をしていた。
翌日の帰国を知っている、フロアーの知人数名が訪れ~談笑した。
昼食も済ませ「今日は少し早くホテルへ帰り、帰国支度を!」と考え書類の整理中だった..
先程、談笑を済ませたばかりの 現地スタッフ が再び現れ 何やら慌てた感じで~
「日本が大変だ、君の家族は無事か!」と心底心配した様子に、大地震を知った。
携帯・固定電話で、本社(日本)・会社の個人・自宅・家族個人と連絡はとれない状況。
「とりあえずホテルへ戻ろう」と 上海体育館駅 に向かうと、改札前のモニター人だかり。
遠目からも日本人と分かる方が数名モニターに見入っていた。
私も、モニターに映し出される光景に暫し見入った。
何度も同じ映像が繰り返されるが、とても 受け入れる事は出来ませんでした。
数時間後には、家族・会社と連絡が取れそれぞれの現状を認識する事が出来た。
それでも、その夜は 一睡も出来ませんでした。
3月11日の夜 肌で感じた事は・・・
大勢の方々の恐怖や無念、私には一生忘れる事の無い感覚でした。
被災された全ての方々にお見舞い申します。
そして亡くなられた方々に、改めて哀悼の意を表します。
一ヶ月の中国出張も、翌日(12日)が帰国日と多分 気分上々で有ったと思う。
何時もの様に中山公園駅から、地下鉄4号線にて乗って通勤。
上海体育館駅に程近い、事務所に到着し コーヒー を飲みながら帰国準備をしていた。
翌日の帰国を知っている、フロアーの知人数名が訪れ~談笑した。
昼食も済ませ「今日は少し早くホテルへ帰り、帰国支度を!」と考え書類の整理中だった..
先程、談笑を済ませたばかりの 現地スタッフ が再び現れ 何やら慌てた感じで~
「日本が大変だ、君の家族は無事か!」と心底心配した様子に、大地震を知った。
携帯・固定電話で、本社(日本)・会社の個人・自宅・家族個人と連絡はとれない状況。
「とりあえずホテルへ戻ろう」と 上海体育館駅 に向かうと、改札前のモニター人だかり。
遠目からも日本人と分かる方が数名モニターに見入っていた。
私も、モニターに映し出される光景に暫し見入った。
何度も同じ映像が繰り返されるが、とても 受け入れる事は出来ませんでした。
数時間後には、家族・会社と連絡が取れそれぞれの現状を認識する事が出来た。
それでも、その夜は 一睡も出来ませんでした。
3月11日の夜 肌で感じた事は・・・
大勢の方々の恐怖や無念、私には一生忘れる事の無い感覚でした。
被災された全ての方々にお見舞い申します。
そして亡くなられた方々に、改めて哀悼の意を表します。